以前、アメブロに書いていた記事を転載しています。
今日は、自分の耳下腺がんをきっかけに変わった死生観について書いてみようと思います。
私はがんになりましたが、2度の手術を経て現在、3年経ちました。
一度見えた「死」は一旦、見えなくなりました。
がんになるまでは、少しでも長く生きる事が良い事だと思っていました。
時々、ニュースなどで取り上げられる、安楽死や尊厳死についても、単純に「生きることより、どうして死ぬことを選ぶのだろう。」と思っていました。
家族が事故や病気で死にかけるような事になっても延命治療してほしいと思うし、治らないから安楽死を望むなんて理解できないし、自分がそういう状況になっても自分も延命治療したいと思っていました。
たぶん、当時の私にとって「死」は遠いところにありました。
小さい頃は核家族で育って、年に1~2回会う祖父母や親戚は好きだけど、家族とは違う距離感でした。親戚にも亡くなる人があまりおらず、22歳頃に祖父が亡くなるまでは「死」に接する機会は皆無でした。
実は、私のがん告知の1年ほど前に母が倒れました。(生きてますが、一生付き合っていく病気になりました。)
自分でもびっくりするほど、動揺しました。それまで、周りに大きな病気になった人がいなかったからです。劇症型で突然の出来事でした。
自分や家族の健康に対して異常な不安を感じるようになり、パニック発作を起こすようになりました。
その時、この世界には治らない病気とがあると本当の意味で知り、「死」というものを意識するようになりました。
そしてその翌年、自身のがんの告知で「死」というものが、さらにぐんと近づいてきました。それまでの私は、当然のように子供の成人を見届けることができると思っていました。
結果的に私はガンをステージ1で発見できたし、このままいけば子供の成人も見届けることができるかもしれません。
ただ、先生からの「1か月早ければガンではなかったかもしれないし、1か月遅ければステージ2であったでしょう」との話から本当に運がよかっただけだと知って、何か私が判断ミスしていれば、当たり前に生きていくはずだった未来は大きく変わっていたのだと。
「死」は特別なステージだと思っていました。
でも「死」って特別なものではないんですね。
誰でもいつでも、「死」は隣合わせ。
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術後は傷口は痛いし、麻酔が効きすぎたせいなのか呼吸抑制や嘔吐で苦しいし、耳裏から首にかけての手術なので、うまく力がいれられなくて入院中は寝てばかりで体も痛いし、枕もあわない。口は1㎝くらいしかあかない上に、顔に麻痺があるからこぼれやすいし、数日経っても気分が悪いのも重なって食事は食べられない。泣きながら何口か詰め込む。看護師は冷たいし、たった1週間でも入院中は辛くて仕方なかったです。
昔、がん入院中の方の記事で子供が添い寝したいというのを途中できつくなって断ったという描写が載っていて、あと何度子供と一緒に寝れるかも分からないのに、断るの?と思ったことがありました。(すみません)
入院中その記事のことを思い出しました。
「そりゃ、断りますわ。」
その人より、軽いであろう私の状態でも子供に添い寝したいと言われても多分断ったと思います。入院中は、自分のことで精一杯です。そのくらい自分の体調がきつい時に人に寄り添うのは大変だと感じました。
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そしてもう一つ、学生の頃に研修で特別養護老人ホームに行った際に、自分で起き上がることもできない、あるおばあちゃんがおむつを替えられる時に毎回泣いているのを思い出しました。年を取って体が動かなくても、心は変わらなくておむつを替えられる度に恥ずかしかったのかもしれないし、申し訳なかったのかもしれないし、理由は分からないけど泣くほど苦しくてたまらなかったんだと思います。
もしかしたら、私だって同じ状態になったら泣いてしまうかもしれない。
上記にかいたエピソードのように、病気や事故で入院したり、体が苦しい時には、いくら子供が可愛くても自分がきつい状態だったら会うので精一杯になるかもしれないし、体が上手く動かせなくてもおむつは変えられたくないという人の尊厳で毎回泣いてしまうほど、心が苦しくなるかもしれない。自分が年をとって、床ずれしてもベッドに寝続けなければならない。なにかの病気が悪化してどんなに痛くても、痛み止めで誤魔化しながら、生き続けなければならない。いつか、生きていくことの方が辛くて仕方ない時が来るかもしれない。
色んな体と心の状況があって、
もしかしたら、「自ら望む死」というものも選択肢としてありなのかもしれないと考えるようになりました。
私はまだ生きていたいし「死」を望むことはないけど、その時になってみなければ分からないけど、一概に「自ら望む死」が間違いだとは思えなくなりました。
こればっかりは、人それぞれの価値観だし、誰が正しいというのはないけど、一生考え続けることなのかもしれないですね。